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麻酔科医の「専門性」、周麻酔期看護師の「存在価値」〜麻酔科・後編〜

2025.07.11 特集 麻酔科

 その後、奥谷は2006年からは大阪市立総合医療センターに移っている。大阪市政百周年の記念事業の一環で、大阪市立小児保健センター、市立桃山病院など5つの市立病院を再編、統合。大阪市の高度急性期医療、小児医療の中核病院という役割が与えられた。

「新生児から100歳超えの方まで扱うという病院です。NICU(新生児集中治療室)で心臓が悪いため手術を要する赤ちゃんの麻酔にも関わりました」

 新生児の麻酔で最も大切なのは、口から管を挿入して気道を確保することだという。新生児は痛みを訴えることができない。そのため慎重を期する必要がある。

 大阪市立総合医療センターに赴任したとき、奥谷は50歳を超えていた。ぼくの主たる仕事は人を育成することでした、と言う。

「自分が出来るというのは当たり前。年取っていくと体力も根気もなくなる。自分だけできてもあかんのです。どうやって麻酔をつつがなくこなせる医師を育成するか。やりなさいというと(技術に)長けた人は出来る。その長けた人がやめてしまうと誰も出来なくなるというのは困る。長けた人がいる間に、若い人にどんどん経験を積ませていかなければならない」

 大都市、大阪市の最後の砦とも言える総合医療センターにはいわゆる難病患者が運びこまれる。若手医師にとっては最高の経験を積む場になる。同時に激しく心身をすり減らす過酷な現場でもある。

「NICUでは(体重が)1キロない赤ちゃんを扱うわけです。手術が3時間掛かることもある。ちょっとのミスもできない。体力的にはもちろん、メンタルもしんどい。時に思ったようにできなくて落ち込む子もいます」

 落ち込んだ子を引き上げるのは難しいんですと首を振る。

「こんな重症な患者を扱う病院は大阪市内で2つか3つぐらい。普通の麻酔科医でやっていくのは、そこまでハードじゃない。そんな風に思う人も出てくる。ハードさに順応できなくなると苦痛だけになる。疲弊してもこの経験を次の病院で生かしてくれればいいじゃないですか。来る者拒まず、去る者追わずでやってました」

 365日、ぼくはリクルート(採用)のことを考えていましたよと付け加えた。

 奥谷が在籍した期間、麻酔の症例数は毎年約500件増えたという。それだけ多くの件数を受け入れるための麻酔医が育ったことになる。そして2022年4月から千船病院で現職に就いている。運営する愛仁会の内藤嘉之理事長から誘われたのだ。麻酔科医でもある内藤は、人材育成の必要性を痛感していた。

 

なぜ麻酔が出来る「周麻酔期看護師」が必要なのか

 今、人材開発部長の肩書きも持つ奥谷が力を入れているのは、周麻酔期看護師の育成である。

 周麻酔期看護師とは、麻酔分野に関する知識と技術を持つ看護師を指す。専門教育や訓練を受け、医療行為の一部を受け持つ「高度実践看護師」の1つである。医師の過重労働を回避する働き方改革、タスクシフティングの鍵を握るとされている。

 十数年前から麻酔科医不足は日本医療界の喫緊の問題となっていた。超高齢化社会に入り、緩和ケア、ペインクリニックなどで麻酔科医師の需要は増えていたが、それを満たす人数がいなかったのだ。周麻酔期看護師はその1つの解決策となる。

 愛仁会には2人の周麻酔期看護師がいる。その中の1人、明石医療センター診療部麻酔科主任の中谷昌平は週1回、千船病院で勤務している。

 中谷は明石医療センター附属看護専門学校を卒業後、明石医療センターに入職。明石医療センターに籍を置きながら、2020年4月から2年間、奈良県立医科大学大学院周麻酔期看護師教育課程で学んだ。

「(奈良県)橿原市まで2時間ぐらい掛かるので通うことは出来ません。家族をこちらに置いて1人暮らし。2年間、麻酔のことをたたき込まれるという日々でした」

 少々厄介なのは、周麻酔期看護師という国家資格が存在しないことだ。

 これにはいくつか理由がある。少なくない麻酔科医が周麻酔期看護師を自らの領域を侵す存在だと警戒していること。看護師側も医療側に踏み込み、責任を抱えることの躊躇があった。その1つの象徴が所属先である。病院によって周麻酔期看護師の所属が診療部であったり、看護部であったりするのだ。

 中谷が幸運だったのは、すでに大学院を修了した先輩が愛仁会にいたこと、そして愛仁会が周麻酔期看護師の育成に積極的だったことだ。加えて、中谷の穏やかで真面目な性格もあったろう。

「(愛仁会の)麻酔科の医師は元々、手術室看護師として勤務していた頃から付き合いがありました。ほとんどが知り合いなんです。そして麻酔に特化した看護師を受け入れるという土壌がある程度できあがったところで戻ることができました」

 非常に仕事がしやすい環境ですと中谷は言う。そして、ただ、ぼくたちはあくまでも看護師なんですと強調した。

「たとえば硬膜外麻酔などは絶対的医行為として医師のみに限られています。それ以外の医行為の一部はぼくたちも出来ることがあるんですが、医師には医師にしかできないことをやって欲しいとぼくは考えています。緊急、重篤な症例があったとき、ぼくたちがいることで医師はそちらを担当することができる」

 加えて、自分たちがやるべきなのは手術前と手術後の対応であると中谷は考えている。

「術前、術後にぼくたちが力を入れると患者さんの満足度が上がります。それによって回復が促進する。また、病棟の看護師さんも麻酔科の先生に聞きづらいことをぼくたちに聞くこともできます。看護部との橋渡しが出来るような存在ではないかと思うんです」

 奥谷も同意見だ。

「医療と看護は似ているようで少し違う。麻酔科医は麻酔という技術は持っています。しかし、例えば麻酔中の患者さんの身体に褥瘡(床ずれ)が出来るとかそういう視点がない。そういうのに気がつくのは看護師。術後の痛みに気がついて患者さんのために動けるのも麻酔の知識のある看護師なんです。きちんと棲み分けして、患者さんのために力を合わせればいいんです」

 周麻酔期看護師の導入は、先進医療の追求と同等かそれ以上の意義があると奥谷は考えている。

「今までの医療の概念を変えるぐらいのインパクトがある。新しい医療としての取り組みなんです」

 この分野で千船病院は試行錯誤しながらも先頭を走っている。

取材・文:田崎健太 写真:奥田真也

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