大阪・関西万博催事検討会議共同座長 大崎洋さん「くじら人」と会いに行く!
第一回 吉井勝彦 社会医療法人愛仁会 千船病院 院長
『虹くじら』定期刊行化にあたって、「千船病院の広報誌で連載コラムやりませんか」と大﨑洋さんに連絡したところ、「コラムもええけど、ぼくも病院のこと勉強したい。万博の仕事で大阪にいることも多いし、病院の方と会えへんかな」と思ってもいなかった嬉しい返事が。急遽、大﨑さんが千船病院の関係者と語り合うという企画に変更しました!
記念すべき第一回は、千船病院の吉井勝彦院長が大﨑さんを迎え撃ちます!
吉井 大﨑さん、いきなりなんですが、こちらから質問してもいいですか? 大﨑さんの著書『居場所。』(サンマーク出版)を読ませて頂きました。会長を務めておられていた吉本興業には〝定年〟がないと書かれていました。それにも関わらず、4月末に吉本興業を退社されました。この理由をお聞きしたいです。
大﨑 芸人さんも年を取っていきます。それに寄り添う社員がいてもいい。年齢で区切らなくてもいいんじゃないかと思って、定年を廃止したんです。ぼくも元気なうちは会社にいるつもりでした。ただ、どこかでスパッと辞める方がいいんじゃないかなという思いもありました。とはいえ、そもそも、自分は何をしたかったんやろうと考えたんですが、何も出てこない(笑い)。辞めても何もできないしなぁ、と。
吉井 (手を振り)そんなことはないでしょう。
大﨑 死ぬまでに1つぐらい、いいことしなきゃいけないじゃないですか。硝子細工のように繊細な若者に寄り添う、あるいはシングルマザーで困っているお母さんや子どもたちの力になれないか。彼ら、彼女たちに向き合う、あるいはサポートを出来るシステムを作ったらどうだろうって考えたこともあります。人生の残りの何年間で何が出来るだろうって、1年ぐらい悩んでいたとき。万博の打診が来たんです。
吉井 そして、大阪・関西万博催事検討会議の共同座長に就任された。
大﨑 熱心に誘ってもらいました。しがない漫才師のマネージャーですが、ありがたく受けさせていただきますということになりました。
吉井 『居場所。』の中で、お母様を病院で看取った話が印象的でした。大﨑さんが病院の人と会って話をしたいと思うようになったのも、その経験からでしょうか?
大﨑 母に加えて、嫁のことでぼくは結構、病院に縁があるんです。嫁がずっと入院していて、リハビリもできないほどの状態になりました。ぼくが病室にいると、お医者さんが若い先生や看護師さんと来てくださる。でも、先生たちは1分ぐらい立って見ているだけなんです。身内の感覚からすれば、どうせ短い時間なんだから、ベッドのところまで行って、手でもさすってあげたらええのにと思っていました。お笑いのチラシを道で配ることがありますよね。(さっと立ち上がり、腕を伸ばして)こうやって通行人の方に渡してもなかなか受け取ってくれない。(腰を屈めて頭下げながら)こうすると受け取ってもらえる確率が高くなる。お医者さんは忙しくて、考えることが多いのは分かるんです。でも、そんな風でいいのかなと悶々とした思いがあった。
吉井 その気持ちは分かります。患者さんに寄り添う姿勢や言動が大事であることは先輩医師から学びました。なかでも兵庫県立こども病院の中尾秀人先生に一番影響を受けました。
大﨑 吉井先生は、小児科医ですものね。
吉井 はい。小児科の中でも赤ちゃんの病気を専門に診療する新生児科医です。予定日より早く生まれてくる赤ちゃんの出生時に立ち会うことがあります。その小さい赤ちゃんが生まれて泣きだすと、中尾先生は、いつも大きな声で、『おめでとうございます、元気な赤ちゃんや』と、分娩室や手術室に響きわたる大きな声を出しておられた。僕もそれを実行しています。
大﨑 お母さんは子どもが無事か、を心配している。先生の「おめでとうございます」という声を聞くと安心しますよね。
吉井 お母さんは生まれた赤ちゃんをすぐには見ることができないので、出産時は耳がダンボというか、情報源は耳だけなんですよね。若手医師はまだ照れがあるのか、部屋に響き渡るような大きな声ではやってくれませんが。
ところで、大﨑さんは(大阪府)堺市生まれです。千船病院のある西淀川区にはどんな印象をお持ちですか?
大﨑 喧嘩の強そうな若い子がいっぱい、いてるという感じですかね(笑い)。昔、知り合いに「西淀川の虎」と呼ばれていたという人がいたんです。その人は、勉強が嫌いだったみたいですけれど、実社会での生きる力、リーダーシップを持っていた。勉強が出来てお医者さんになる、国会議員になるというのもいいんですけれど、これからの世の中って先が読めないじゃないですか。感染症、自然災害、ロシアの戦争など予想できないことが起こる中で生き抜く力をどう身につけるかって思っているんです。
吉井 西淀川の虎と呼ばれた方のような、逞しさが必要になるということですよね。
大﨑 ぼくが地方創生の分野で師事している清水義次さんという方がいます。彼は『民間主導・行政支援の公民連携の教科書』(日経BP)という本も書かれてます。清水さんがいつもおっしゃっているのは、これからの子どもたちの教育において、主要5教科の勉強時間は全体の2割でいい、と。
吉井 5科目とは英語、国語、数学、理科、社会のことですね。
大﨑 はい。この5科目はオンラインでもいい。残りの8割の勉強時間は、技能4教科に割く。つまり、音楽、美術、技術家庭、体育。この技能4教科に加えて、道徳を自然の中で学ぶことができれば子どもたちに生きる力が身につくとおっしゃったんです。ぼくはそれを聞いてその通りだと、目からうろこが落ちた。同じようなことが病院でも出来るのではないかと思うんです。
吉井 病院が学びの場になると?
大﨑 病院で子どもがおじいちゃん、おばあちゃんと話をする。お手玉とか竹とんぼの作り方を教えてもらう。そういうコミュニケーションがあると、思春期になって、おじいちゃん、おばあちゃんが臭いとか言わなくなる(笑い)。そういう機能が家庭から失われているような気がするんです。
吉井 千船病院が目指しているのは大﨑さんのおっしゃっている方向性と近いかもしれません。千船病院は昨年8月に〈活気があり、笑顔にあふれ、常に進化するまちの実現〉を目指して、西淀川区と包括連携協定を結びました。福ハッピーフェスタという祭りを年に3回ほど開いて、地元の吹奏楽団に来てもらったりしています。幅広い年代の人たちに病院に集まってもらいたいと考えているんです。
大﨑 ぼくの知り合いの起業家がゴルフ場の中に田んぼを持っていて、彼らの家族と遊びに行ったことがあるんです。そこで田植えを経験するという目的だったんですが、子どもたちは汚れるからってやらない。18人の子どもで、田んぼの中に入ったのはたった2人だけ。みんな足が汚れる、汚いっていうんです。
吉井 田植えの時期の田んぼにはヒルもいますからね。僕は兵庫県たつの市出身で、実家が兼業農家でした。小学校低学年の頃は田植えも機械化されておらず、田植えの手伝いもしました。土に触れることは好きですが、ヒルに血を吸われて痒くなった記憶があります。
大﨑 姫路市の隣りですね。すごくいい環境ですよ。
吉井 ところが、地方では就職先である企業がたくさんあるわけではないので、同級生も大学進学で東京に行くと、卒業後は半数ぐらいしか地元に戻ってきていません。地方の過疎化は想像以上の早さで進んでいるように思います。
大﨑 西淀川区は工業地帯なので、田んぼや畑はそんなにない。区との共創に加えて病院を核にして、農家の方々、地域の子どもたちを結びつけるのも面白いんじゃないでしょうか。
吉井 (大きく頷いて)西淀川区も徐々にすが人口は減っているんですよ。西淀川区は東を淀川、西を神崎川、南を海に囲まれた特異な地形をした町で、都市部でありながら、地方的な要素もあるのかもと考えています。地方では病院がコミュニティの中心となっているところも増えているので、千船病院も同じような機能をもってもいいと思います。
大﨑 ぼくは昔の商店街みたいなところを、スリッパ履いて、ぶらぶらするのが好きなんです。病院にそんな風に遊びに行ったら、お母さんがいて子どもが走り回っていたりする。そういう光景眺めているだけで楽しいなって思う。病院という垣根が低くなると、病気の早期発見に繋がる。うちの母親もそうだったんですが、特に女性は、ぎりぎりまで我慢してお医者さんのところに行くという人が多い。
吉井 早期発見は重要ですね。。近所の方がちょっと病院を覗きにきて、ついでに検診を受けようかなっていう感じになれば、病気の予防、未病に繋がる。大﨑さん、色んなアイディアをありがとうごこざいました。今後とも千船病院を宜しくお願いします。
大﨑 こちらこそ! また来ます!
構成 虹くじら編集部 写真 奥田真也